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たまたま、小津安二郎監督の名作が手に入り、DVDで観たらなんとパチンコのシーンが出てきたのには驚いた。66年前の映画『お茶漬けの味』である。1952年の作品だが、佐分利信も鶴田浩二も若かった。鶴田浩二は、浜松で肩で風を切って歩いていた頃もあると聞いている。東宝のプロデューサーから聞いた話しである。
だから、経験からしてやくざ映画では天下一品の味を出していた。『お茶漬けの味』では、佐分利信も鶴田浩二もサラリーマンの役で、佐分利信がパチンコをやってこんなものをやっていては国が駄目になるような発言をしていた。 玉を一個づつ入れてレバーで指ではじく時代である。今考えたら、遊びにしか見えないがチョコレートとかお菓子に換えてくれて家に持ち帰ると家族が喜んだと言う時代である。笠智衆が、パチンコ屋の親父の役で出ていた。 それにしても、小津安二郎と言う監督は、先を見る目があった名監督である。鶴田浩二と言えば、結構わがままな役者であったらしい。筆者が親しくなった、良き時代の脚本家は、鶴田浩二の映画を何本も書いていた、 鶴田浩二は、何か気に食わないことがあると撮影現場に来なくなり、監督は脚本家を呼びによこしたと言う。その、脚本家の言うことだけは聞いたので、助監督が脚本家を連れて呼びに行くと黙って現場に来たと言う。 当時の、パチンコは椅子が無く立って打つ時代であった。当時の役人は、良識を忘れていなくて椅子を許可するとパチンコを打つ時間が長くなり、労働意欲の低下につながると主張した。まだ正義があった時代である。 それが、景品がだんだんと高価な景品が出るようになり、ヤクザ屋さんが、店の外で景品を買ってくれるようになった。そして、3点方式と言う悪知恵をはたらかせて小屋で現金と変えるようになった。このやり方は、韓国にパチンコがあった頃は同じやり方をしていた。 実は、NHKが韓国へ行きパチンコを禁止したその後を丁寧に紹介したことがある。あの映像は、筆者にとっても貴重であった。それは、NHKが映像で筆者が書いたことは正しかったと証明してくれたからである。あの映像は筆者にとっても貴重であった。 ソウル警視庁は、パチンコ台をすべて没収して大きな倉庫に保管している。そこに、NHKのカメラが入った。ディレクターが台を見て、これは日本の台ではないですかと叫んだシーンは忘れない。なんと、「海物語」を改造した台があって人気があった。韓国でも、「海物語」は人気があった。韓国の場合は、玉を打つのではなくメダルを入れるやり方であった。だから、現地ではメダルチギと言った。 韓国へ行ったこともない、業界の手下のチンピラたちが拙著を批判していたのを、NHKが筆者が書いたことは正しいと証明してくれたのは感謝しかなかった。NHKに了解を得て講演でも映像を紹介したことが何回かある。 立って打つのは、昭和30年代の後半ぐらいまで続いた。椅子が設置されるようになり、玉を一個づつ打つのではなく、レバーではなくハンドルで打つようになってから博打場になった。要するに、連発式である。最初のうちは、ハンドルにコインを差し込んだりして固定して打てた。だから、腕組みして盤面をみているだけだった。 名監督小津安二郎の映画は、今見てもほっとさせられるものがある。さりげなく、風刺を利かせて社会を批判している場面がある。パチンコのシーンに時間を取っていたのも、こんなことをしているとこの国は碌なことにならないよ、とさりげなく言わせて風刺していた。先見の明のある監督であった。 それが今では、パチンコは鉄火場になり自殺者まで生むようになりさらに西洋の賭場(カジノ)まで開帳しようとしている。小津安二郎監督が、ご健在ならカジノに関してどんな風刺を展開していたかと思うと辛くなる。多分、カジノは国を亡ぼすと風刺を展開していたことだろう。
by wakamiyaken
| 2018-11-15 11:14
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