マツダがロータリーエンジンの生産を止めた。ロータリーエンジンの加速と、滑らかな走りは捨てがいものがある。
何とか、生産を続けてもらいたい気持ちが強い。なんか、この国では、次々とロマンが消えていくような気がしてならない。
古き良き時代には、車のデザインにもロマンがあった。自己主張があった。最近の日本車のデザインには辟易する。面白みがない。個性がない。
各社、みな同じようなデザインで、見分けがつかないような状況になっている。
初代の、コスモスポーツは試乗したことがあるが、あの斬新なデザインは今でも古さを感じさせないものがある。
昭和の30年代、40年代頃までは、車作りにも攻めの姿勢があった。車では、当時後進国の日本は、今に追い越してやるという気概を持っていた。それが、デザインにも表れていた。
「マツダ787B」が、「ルマン24時間レース」で91年に日本車としては、はじめて初優勝している。「ルマン24時間レース」で、優勝したロータリーエンジンは捨てがたいものがある。
最近は、すべての面で効率優先である。効率優先だけでいいものなのか? 筆者は、疑問を感じてならない。
攻めの姿勢を失ったら、坂道を転がり落ちる可能性が高くなる。最近の日本人は、攻めの姿勢を忘れてきている。確かに、失われた二十年は長過ぎた。何故、そんなに不況が続いたか、その原因はパチンコに毎年何十兆円も浪費したからなのである。
ホンダも、トヨタもF1から撤退してから久しい。本当は、状況の悪い時ほどF1にも出場し、ルマンにも出て、空元気でもいいから元気を出すべきなのである。
状況が悪い時は、逆にカラ元気でも元気を出して明るくふるまうべきである。状況が悪い時に、下を向いたらますます悪くなる。
トヨタ、ホンダのF1撤退に続くショックが、マツダのロータリーの生産終了である。無味乾燥の効率主義が、この国の国民に幸福をもたらすとは思えない。逆に、とんでもない結果が待っているような気がしてならない。
物事すべて計算ずくで成り立つならば、心はいらなくなる。
効率主義は、ロマンをなくし、生きる希望を失い、人間を不幸にするものである。いかなる場合でも、ロマンを追いかけるのが、日本人の良さであったはずである。日本人は、ロマンを無くして、効率だけ追いかけてどこへ行く。その先に、待っているものは何だろう。
痩せても枯れても、ヨーロッパの自動車メーカーはF1にもルマンにも出場し続けて、心意気を失っていない。ホンダも、トヨタもF1から撤退して、失ったものの方が多かったはずである、F1から得られる、
市販車に対する技術的なフィードバックは間違いなく失っている。これは大きい。
もう、効率主義は止めてほしい。
挑戦する心を失ったら、この国は間違いなく坂道を転がり落ちていく。いまは、坂道を転げ落ちる途中なのかもしれない。ロマンを無くした、この国に未来はあるのか?