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フエアレデイZの父、片山豊氏がお亡くなりになった。筆者が、トヨタの営業マンてして現役の頃の日産は強敵であった。販売台数で、トヨタを上回っていた時代があった事を知らない世代が多くなった。
昭和の40年代までは、技術の日産、販売のトヨタと言われた頃もあったが、今では、技術も販売もトヨタが何歩も抜きん出ている。 元レーサーの国沢氏のレポートから紹介させてもらう。 「ミスターK」こと片山豊さんの訃報 国沢光宏 | 自動車評論家 2015年2月22日 10時44分 アメリカに於ける日本の自動車ビジネスを大きく推進するという絶大なる功績を残した片山豊さんが亡くなった。日本では「フェアレディZのお爺さん」くらいのイメージしかもたれていないものの、片山さんという「切れ者」が居なければ、日本車はここまでアメリカで成功しなかったと思う。アメリカの自動車ビジネスを根本から変えた、と言っても良かろう。 例えばアメリカでよく言われる「交換部品の翌日調達率」について初めて言及したのは片山さんである。それまで壊れてもいつ交換部品が届くか不明だった。片山さんはダットサンをアメリカで売るにあたり、徹底的なサービス体制を作り上げた。さらにアメリカで販売するためのクルマを本社に強く強くリクエストし続ける。初代フェアレディZ(S30)やブルーバード510は片山さんの企画だ。 日産本社はアメリカに於ける片山さんの大活躍を好ましく思っていなかった、というのは有名な話。 一度お会いし、話を聞いてみたかったものの、私が自動車メディア業界に入った頃、もはや引退された後の70歳。2008年9月にやっと実現した次第。2時間ほどたっぷりインタビュー出来たのだけれど、御歳99歳と思えないほど矍鑠(かくしゃく)としており、満州駐在時代の話などたいへん興味深かった。 人柄はとにかく明るい。湘南&慶応ボーイの見本のようなお方であります。役人気質優勢だった当時の日産本社の人間がうらやんだのも、よく解る。初めて米国に渡ったのは1927年とのこと。パッカードの12気筒を新車で見たとおっしゃっていたから驚く。 ちなみにアメリカで最も広く知られる殿堂である『自動車の殿堂』入りは、本田宗一郎さん、豊田英二さん、品質工学で自動車のクオリティを大幅に向上させることになった「田口メソッド」の田口玄一さんに続く4人目。アメリカでは本田宗一郎さんと並び、たくさんのクルマ好きから親しまれていた。 生き証人が、次々とこの世を去っていく。それにしても、経済成長期はこの国もまだ純な心を持った男達が活躍していた。銭よりも、生き方が重視された時代であった。 筆者は、トヨタの新車の販売で1000台販売の表彰を受けたが、勿論家庭を顧みる事が疎かになったものだ。今では、馬鹿な事をしたものだと思っているが当時は無我夢中という表現がピッタリであった。 作り手も、乗り手も、みんなロマンを大事にした時代であった。日産は、ライバルではあったがプリンスは今でももったいない会社であったと残念でならない。銀行の策謀で、日産と合併させられたが車造りのセンスは見事なものがあった。 今も、スカイラインの名前だけは日産車の中に残しているのは、ノスタルジーもあると思うが旧プリンスに対するリスペクトの念もあるはずだ。 トヨタも、最初にアメリカにクラウンを輸出した時は、あえなく撤退に追い込まれた。今では考えられない事だが、ハイウェーでオーバーヒートして走れなかったという嘘のような実話がある。 当時は、トヨタ自動車販売とトヨタ自動車工業と分かれていた。販売と製造を分けて、販売の神様と言われて神谷正太郎氏が販売の方の社長を務めた。神谷氏も、最後には晩節を汚したが販売のセンスは抜群であった。 筆者は、一度神谷氏の話しを聞いた事がある。流石に、話しも上手でセンスがあった。上背はないが、腹の底から湧き出る迫力があった。車の販売に関しては、哲学をお持ちでもそれを押し付けるようなことはしなかった。人間的にも魅力を備えた人物であった。 フエアレデイZの父、片山豊氏のご冥福をお祈り申し上げます。
by wakamiyaken
| 2015-02-23 03:34
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