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今日の『東京新聞』が、さいたま市で起きた九条につながる俳句の掲載拒否の問題を取り上げていた。1面トップの掲載に、東京新聞の良識が出ている。
筆者は現在、さいたま市に住んでいるが、少し前までは(ダ)埼玉とバカにされていた。最近はさすがに言わなくなっているが、こんなバカなことが行われるようでは、また(ダ)さいたま、が復活するかもしれない。 さいたま市は特殊な市なのか。特殊な県なのかと言いたくなるようなことが起きている。 「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」と詠んだ市民の俳句を、大宮区の三橋公民館が月報への掲載を拒否した問題である。さいたま市だけが、戦時中に戻ったのかと言いたくなるとんでもない話しである。こうなると、さいたま市に住むのが恥ずかしくなる。埼玉はやっぱり(ダ)さいたまなのか、と言うことになりかねない。 稲葉康久・市教育長は29日の定例会見で、「世論を2分しているのは月報にそぐわない。今後も掲載しない」と発言。掲載しないことの方が、世論を2分しているのではないのか? 教育長の論理には矛盾がある。 埼玉県も、民主国家日本の一員ではないのか? 都会でもない、田舎でもない中途半端な一面はあるが、戦時中のような感覚がまかり通るようでは、恥ずかしくて埼玉に住めなくなる。 そもそも、稲葉康久なる教育委員長は教育委員長として適切な人物なのかそれが問題。最近は、NHKの会長人事にしても、権力者の意を酌んだ人事が横行するようになってきている。この問題は、さいたま市と言う一地方の問題ではない。 民主主義の危機の問題ではないのか? さいたま市も日本国の一員のはずだが… 俳句は、日本の芸術文化でしょう。それに対して、アホ丸出しの教員長が、掲載を拒否するとは言語道断で秘密保護法案と何か関係があるのか心配になってくる。 筆者は、はっきり記憶があるが終戦後の教科書はやたら墨で塗られた部分が多かったものだ。進駐軍が検閲して都合の悪い部分は墨で塗りつぶした。それが、教科書として通用していた。 どうやら、さいたま市の教育委員長は戦後の墨で塗りつぶした教科書はご存知ないらしい。アノとんでもない時代を経て、現在の締りのないどうしようもない社会になったのを忘れてはならない。 市教育委員では、市民の文化芸術作品などの掲載について、独自の基準作りも進めているという。さいたま市の教員委員会は何様なのか? 文化芸術に基準を設けたら芸術ではなくなることを分からないようでは、全員辞めて出直した方が良い。日本だけではなく、世界の笑いものになる。 さいたま市の清水市長も「世論が大きく分かれる問題で一方の意見を載せると市の意見だと誤解を招く。(掲載担拒否は)おおむね適正だ」と発言している。これは一体どういうことなのか? 埼玉は、やつぱり(ダ)さいたまなのか、さいたま市に住むのが恥ずかしくなる。 一方の意見を載せると、誤解を招くとはどういうことなのか。ならば別の意見を掲載すれば済む話しで、市長の意見もおかしい。さいたま市は、教育委員長も市長も論理に矛盾がある。 これは民主主義の根本的な問題ではないのか? 筆者は、正義には右も左もないと思っているから、正しい意見であれば右でも賛成している。 この問題に関しては、首都圏の一つの市の問題ではない。筆者は、この国を戦時中と戦後の一時期のような暗黒時代に時計の針を戻す行為をしてはならないと主張しているだけである。この国は、本当に危なくなっている。 一部政治家(市長も含め)と、エセ文化人(教育委員長を含む)に、この国が潰されようとしている。
by wakamiyaken
| 2014-07-30 09:08
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