写真は助手の大五郎
by ken
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モンゴル出身の力士と、日本人力士との対戦でモンゴル出身を応援したのは今回が初めてである。普段は、相撲をほとんど見ないが、旭天鵬は応援したかった。体力の維持が大変な大相撲で37歳で優勝した。
旭天鵬がいいのは、人間性の良さである、謙虚な人柄がいい。相撲を取り終わって出口で待っていた仲間の心から嬉しそうな顔が旭天鵬の人柄を表していた。インタビューの答えも、飾らなくていい。あれでいい。
最近は、饒舌な力士も見られるが、人を感動させるのは饒舌な言葉ではなく、旭天鵬のような心のこもった言葉、正直な言葉が人の胸を打つ。久しぶりに、謙虚な正直な男に会えたような気がする。
大関の、粗製乱造と言ってもいい協会の運営方針には疑問を持っていた。相撲は強いだけでは通用しない。旭天鵬のように人間性を高める努力をすることが先決なのに、協会のやったことは大関の粗製乱造である。
不甲斐ない、大関を見たくて国技館に足を運ぶ人はいないだろう。それでも、昔の力士のように人間的な魅力を備えていれば別であるが、その教育は放置されている。最近では、手をついて立つ力士もほとんどいない。
結局また元に戻っている。今場所は、低レベルの場所だったのに、優勝決定戦に煽られて低レベルの観客が足を運んだが、来場所からは大変だろう。レベルの低い相撲を見たいのは、低レベルのファンだけである。
本物のファンは、とっくに相撲を見はなしている。大関を粗製乱造している協会に対して、相撲の神が怒って作りだした幕内優勝だったと考えるべきである。大関には優勝をやらないで、平幕で頑張っている旭天鵬に賜杯を渡したのは、神のなせる技であった。大関に相応しくない連中に賜杯を渡すよりは、平幕で頑張る謙虚な旭天鵬に渡した。
味のある、天の配剤とも言える旭天鵬の優勝であった。それにしても、これから先の大相撲は大変である。今場所、大関で胸を張れる勝ち星を挙げたのは稀勢の里ただ一人。それでも、4敗である。
琴欧州の当日欠場は、一体どういうことなのか? 相撲協会は、相も変わらず不祥事の連発である。琴欧州の親方は何をやっているのか、ということになる。前の日なら、何とか不戦勝は防げたはずだ。
横綱白鵬に贈る言葉ー 「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰のことわりをあらはすおごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者もつひには滅びぬ、ひとへに風の前の塵におなじ」驕れるものは久しからず、ただ春の夜の夢のごとし、この言葉を白鵬に贈りたい。
by wakamiyaken
| 2012-05-21 09:28
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