国民新党も内紛が続いている。この国の政治はなんでこうなのか? 筆者は、亀井氏の方に正義があると思うが、一度権力の味を覚えてしまうと、同志も何も関係なくなるものらしい。政権の中に入ってしまうと、蜜の壺の中に落ちたようなもので、美味しくて辞められなくなるという。
結局、日本の政治家は我が身が可愛い人間がほとんどであることを証明してくれた。どんなに奇麗事を言っても、人のことはどうでもよくて、自分さえよければそれでいいようだ。亀井氏も少し問題があると思う。新党を作ると言ってアドバルーンを上げすぎた。
本来であれば、新党を作るなどという大事な話しは、完全に固まって直前までは軽々しく言うべきことではない。発言があまりにも軽すぎたきらいはある。石原知事と新党を作るにしても、石原知事はパチンコ反対の人である。亀井氏は、パチンコ業界の守護人と言われているほど、パチンコ業界と関係が深い。
それだけでも、本当は水と油に等しい。政治の世界は、それでもいいのか? それが不思議なのである。相反する考えを持っていながら手を組めるものなのか。そういえば、石原知事からパチンコ反対の声が聞こえなくなっている。
政治の世界は、分からないことが多すぎる。もっと単純に国民が分かりやすい行動をしてほしいものである。橋下市長が人気があるのは、言動が分かりやすいからである。筆者は、石原知事まで橋下氏に近寄るのは賛成できないが、国民新党には失望した。
「民主に絶望、自民に失望」。失望のグループに国民新党も加えなくてはいけなくなった。民主に絶望、自民に失望、国民新党にも失望ということになる。なんともはや、救いようのない国になっている。こんな国は、世界中探してもないだろう。
行動の基準が、最初に自分の損得で、党などというものはその次で、国民は、二の次、三の次で、四の次ぐらいに国民が出てくるようである。情けないというよりも、この国に正義というものがあるのだろうか、と考えてしまう。物事の基準から、正義が抜け落ちているのが今の日本ではないだろうか。
「大義名分」とは、広辞苑によれば、人として臣民として守るべ節義と分限とある。ならば、今の政治家に欠けているものは、人として守るべき、節義と分限ということになる。もっと単純明快に、国民が納得できるような行動が出来ないものか?
民主もごたごた、自民もごたごた、国民新党もごたごたでは、国民は一体どこを向いたらいいのか。失望だけが支配している現状は、あまりにも悲しすぎる。これでは、次の選挙では、投票する党も人も皆無となる。困ったことである。