維新の会が、次の衆議院選で全国で候補者の擁立を検討しているという。しかし、素朴な疑問がある。日本の選挙は、金がかかるのは誰しもが認めることである。
国政選挙ともなれば莫大な金がかかる。その選挙資金をどうするのか、というのが筆者の疑問点である。
無理な資金収集をすると、必ず問題が起きる。筆者がみんなの党をあまり支持しないのは、党に金がないから、自前で戦える金のある人間が主に候補者として認定されているからである。維新の会も、金のある人間だけが立候補するならば、あまり期待はできなくなる。
どんなに綺麗ごとを言っても、選挙に金がかかるのは事実である。自前で戦える人は、そんなに多くはない。金のある人間には、理想がないという面がある。
本来は、イギリスなどのように、本当に国を思う人間が立候補して当選できる制度に改めるのが先である。
最近は、銭になるから国会議員になりたがる輩が多すぎる。どんな高邁な理想を掲げても、この国では、金がなければ当選できない。そのジレンマと、どのように向き合うか、そして期待される政党が多くの議席を獲得できるか? とにかく金の問題は避けて通れない問題である。
「民主に絶望、自民に失望」では、庶民の悩みは深い。
この国を、ここまで貶めた自民党の体たらくもある。民主党にやらせてみらたら、自民党よりも酷かったという現実がある。政権党は、曲がりなりにも資金は持っている。これまた、矛盾した現実がある。
金がなくても、理想を高く持ち、その実現に命をかけて国民との約束を守れる人間が立候補してほしいが、良い人間は金がない。ろくでもないのに限って金には不自由していない。とにかく、急ぐべきことは選挙制度を改めて、金がなくてもまともな人が立候補できる制度にしなくては、いつまで経ってもこの国は良くならない。
維新の会に期待は集まっている。筆者は、今のところは眉唾で見ている。維新の会を、冷静に見る人間もいてもいいのでは…。この国は、熱病に侵されたようになることがある。あの小泉旋風が吹き荒れた時がそうであった。
マスコミがこぞって小泉旋風をあおった。この国をおかしくしたのは、政治家よりもマスコミなのである。特にテレビは酷すぎる。
「民主に絶望、自民に失望」庶民は新しい投票先を探すしかないのははっきりと数字にも表れている。その新しい投票先が問題なのである。