日本ハムの監督は、評論家・栗山氏の招へいを決めたという。
なんか、野球を勘違いしている人事と言う気がしてならない。野球の監督を勘違いしている。
オーナーは、管理職をビジネスの世界と一緒にしてしまった。勝負事は、ビジネスの世界とは異なる。ビジネスの世界なら、栗山氏でもいいかもしれない。
野球の監督に必要なものは、度胸と、人情と、義侠心と分析力があればそれで最高。落合監督を見ればいい。この条件がすべて備わっている。
その反対に、栗山氏にはこのすべてがない。度胸があるとは思えない。人情もあるとは思えない。義侠心はゼロだろう。分析力だけは少しはあるかも…。
野球選手などと言う集団は、そんなに頭のいい連中の集まりではない。理屈で割り切れるものではない。だから、
監督に必要なものは、度胸と人情と義侠心が必要になる。これを備えている監督が、過去にも名監督として名を馳せている。
筆者には、どうも最悪の選択をしたような気がしてならない。オーナーは、野球を勘違いしている。
勝負事は、もっと単純に考えるべきである。理屈で野球ができるなら、東大卒を連れてくればいい。
同じ理屈でも、野村克也氏の場合は、実績があるから物が違う。
栗山氏の場合は、実績がないから理屈をこねても選手に馬鹿にされるだけである。
来シーズンは、これで落ちゆくチームが決まったも同然である。
取りあえずは、今年のお歳暮は日本ハムは止めようと思っている。