青森県民が、原発推進派の前知事を選挙で選んだ。悲しい選択である。何故ならば、原発による経済的な潤いを選んだからである。確かに、半年雪に閉ざされる雪国の生活は生活したものでなくては理解できないだろう。
原発の施設が雇用を生んで、出稼ぎが減少したことも事実である。しかし、何万年も先まで、原発の恐怖と向かい合って生きていかなければならない現実は、逃れようがない。ここは、我慢して原発と縁をきるべきではなかったか?
それでなくても、青森には世界一美味しいりんごの産地である。そのことを考慮するならば、原発のゴミを引き受けるようなことは、自殺行為とも言える。辛くて悲しい選択であったことは間違いない事実だが、これから先、何百年のことも考えるべきではなかったか。
原発の施設が、県民に与える経済的な効果は誰も否定は出来ないものにしても、福島県民の辛い現状をしっかりと目に焼きつかせる必要があったと思う。現在の少しのお金よりも、未来永劫不安と恐怖と、常に隣りあわせで生活していくことよりは、原発と訣別する道を選ぶべきではなかったか?
何よりも、これから将来原発で何かあったならば、アノ美味しいりんごを誰も食べようとしないことになるのが悲しい。それが何時現実のものになるかー明日にでもそうなるかもしれない。こればかりは誰も分からない。しかし、青森県民は、お金よりも大事なものがあることを自覚するべきではなかったろうか。